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仏教で食うなら、坊主なんてやめちまえという意見の問題点

宇賀神

写真は金運にご利益がある宇賀神さま。

ここ数日、困窮するお坊さんの記事がYahooニュースに連続して出て、世間を賑わしていました。

で、こういう記事をTwitterで流していたら、「食っていく、生き残ることが目的なら、さっさと仏教やめればいいのに。仏教は僧侶を食わすためにあるもんじゃない」という意見が送られてきました。

これと似たような言葉は、結構あちこちで見かけます。

○僧侶は生き様であって職業ではない
○お寺は家業になっていて、本来の仏教精神はないがしろにされている
○仏教は欲を手放す教えなのに、お金に汚くない?

まあ、全部を否定するわけではないですが、それでもほーりーはこうした意見に懐疑的です。そしてこれらの意見へのカウンターをお坊さんが言うと波風立つので、僧侶ではない外野のほーりーが語ってみます。

仏教で食うなら、坊主なんてやめちまえという意見への反論

私がこうした意見に違和感を覚えるのは、「仏教で食う=仏道を踏み外している」という図式が前提に語られているからです。

もちろん仏教で食うために、道を踏み外したお坊さんはいるでしょう。上記で紹介した記事の中にも

住職は一時、“モグリの坊主”にも手を染めたという。要望のあった別宗派のお経を勉強し、袈裟(けさ)も変えて法要をする。「心は痛んだ」が、「お金のためなら仕方がない」と読経した。

という事例が紹介されていました。

が、問題はお布施の額が足りないから突き返されたとか、お墓を都心部に移そうとしたら高額の離檀料を請求されたとか、そうした一部の事例がメディアで面白おかしく取り上げられ過ぎて、それがすべてのように扱われていることです。

先日もこれまた Yahooニュースに掲載された日刊SPA!の記事

「仕事は葬式や法事で、お経をあげるくらい。額面上の月収は20万円となっていますが、お布施や花代で、寺には毎月数百万円入ってくる。実際はその半分近くを自由に使えます」

 事実上の月収は100万円程度。絵に描いたような生臭坊主だ。

なんてものが出ていました。

いや、まあ。そうした方もいるにはいるのでしょうが、極端な例ですよ。こうしたお坊さんにぶつかってしまい、トラブルの起きた人を救済する道は必要ですが、被害に遭ってもいない人間が面白おかしくつつくのは、不毛でしかありません。

基本的に僧侶として生きるためには、3つのパターンがあります。

(1)パトロンを得て、誰かのお金で生きる
(2)僧侶として稼いで生きる
(3)僧侶とは別に仕事を持ち、他で稼いだお金で生きる

その他に(4)食わずに生きる という伝説上には存在するかもしれない僧侶もいるでしょうが、基本的にはお坊さんも食わなければ生きていけません。

そして人生を仏教にフルコミットして生きたいのであれば、(3)の兼業だと時間が限られてしまいます。他の職業が本人の仏道に良い形で作用している方もたくさんいますが、冒頭で紹介した記事のような「その日に食っていくだけで手いっぱい」では、お坊さんとして持てる時間はほんのわずかでしょう。

というか、平日は他で働き土日は住職。お寺の維持まで懐から出していたのでは、どんなに仏道を支えに頑張ってみても、潰れるのは目に見えています。

また、(1)パトロン(ここでは檀家さんのことではなく、純粋にお金だけ出してくれる支援者)が得られる僧侶というのは日本ではかなり限られています。後援会とかそういうものができるカリスマ的なお坊さんでなければ、無理ではないでしょうか。

だとすれば「(2)僧侶として稼いで生きる」は、どんどん貴重な道になっていきます。お坊さんが目指すことに何も問題はないですし、私はむしろもっともっと目指してほしいと思っています。

もうちょっと根っこの部分を掘り下げてみると

そしてこうした「稼ぐな」という意見にふれるたびに思うことは、「みんな仕事って嫌いなんだよね」ということです。

要するに「好きだからとか使命感を持ってとかで、それで人生のできる限りの時間を費やせるようにお金を稼ぎたい」という人物は、理解の範囲外ということです。

ほーりーで言えば寺社巡りが好きなので、どうやったらあちこちのお寺や神社に行けるかを徹底的に考え抜いていました。その結果、脱サラして株式会社寺社旅なんてものも作り、今のところ希望する人生をつかんでいます。

また私の知り合いで言えば、大陽寺の浅見住職も象徴的です。半径5km以内に人が住んでいない廃寺寸前のお寺を継ぎ、このままでは食っていけないと悩んだ末に宿坊を開いて大人気になりました。

お金とは嫌なことを我慢して、その対価として得られるものと定義している人にとっては、生き方と仕事がイコールという価値観はズルいものに感じるのでしょう。趣味であれば「好きなんですね」と言われたものが、稼ぐようになると「結局お金かよ」と、汚れた目をした人たちから指を指されます。

参考:他人の行動を儲かるかだけで言及する人が多すぎる件

上の記事にも書きましたが、「儲からなくてもやる」ことだけが、純粋な行為ではありません。「儲かるからやる」ことに、「儲かる以外に意味を見い出さずにやる」なんて、むしろそっちのほうが難しいことです。そんなのほとんど、犯罪行為くらいじゃないでしょうか。

そして好きだからこそ、稼げるようになるまで工夫してやるという道を歩む人もいます。その情熱は普通の「好き」なんか比べ物にならないほど、強くて深いものです。

ということで、、、

聖職者としてのお坊さんだから、欲をコントロールする仏教だからこそ、稼ぐことについて一般の人より遥かに攻撃を受けやすい面があります。また、そうした行為を誘発する心無いお坊さんがいることも事実です。

しかしお坊さんに「仏教を食う手段にするならやめちまえ」なんて言う世間の空気(お坊さんの中にもあります)が、これほどまでにお寺を追い詰めたとも考えています。

記事内で「檀家制度に胡坐をかいていた」と書かれていて、この部分にはほーりーも賛成します。しかし一方で金儲けするなという声が強すぎたために、お寺社会が葬儀法要以外にほとんど稼ぐ手段を作れなかった点も見逃せません。

宿坊や仏前結婚式やお坊さんによる企業セミナーなど、ほーりーはお寺(あるいはお坊さん)の収入多様化について、様々な活動に取り組んでいます。先日もお寺の相談に伺いますよという記事を書きましたが、こちらもその一環です。

ほーりーは2万円(と交通費)で、お寺の相談に伺いますよ

お寺に兵糧攻めを続けていたら、本当にこれからどんどん潰れてしまいます。お坊さんが仏教で食えた方が、私たち一般の人間も仏教にふれやすくなるのです。仏教が大好きで潔癖な人ほど、こうした視点は押さえた方が良いですよ。

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