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お坊さんは欲深くはないけど、恐怖でお金に執着する

檀家数減少時代のお寺の方策

先日、エンディング産業展のアンカレッジブースにて、ほーりーがファシリテーターを務める勉強会を開催させて頂きました。

題材としてお話ししたのは『檀家数減少時代のお寺の方策』です。これは以前、寺院消滅への対抗策を話してほしいとリクエストされた僧侶研修会で講演したり、月刊住職での連載コラムに書いたものを、今回の勉強会用にアレンジしたものです。

内容はお寺を布教と経済両輪で支えるモデルを、これから多数作っていく必要があるという話です。箇条書きでまとめると

○お寺の収入の8割は、檀家さんからのお布施が占めている
○お寺社会のように大きなものが、ここまで極端な一本足で立つのはリスクがある
○宿坊、仏前結婚式、信徒創造、祈願・祈祷寺化のモデル紹介

という内容になっています。

さらに詳しいことは、こちらをどうぞ。

檀家数減少時代に収入を支える、石垣型のお寺設計

檀家さんからのお布施以外で、お寺に収入を増やす5つの方策

今回はこの勉強会に参加されたお坊さんから「僧侶は世間の人よりもお金に執着している」という意見が上がったので、ほーりーが話したことをまとめてみました。

お坊さんはそこまで欲深いわけではない

お坊さんはお金への執着がすごい。これは今回に限らず、お坊さんから自虐、あるいは憤慨しながらよく聞く言葉です。

ほーりーもお坊さんはお金にがめついか? と、問われれば、イエスと答えます。しかしこの問いに「世間より」という言葉をつけるなら、それはちょっと違うかなとも感じています。

世間様だってめちゃくちゃお金に執着するし、お坊さんだけ特別ひどいという印象はありません。中にはとんでもなく強欲な方もいるでしょうが、これまたお坊さんだけ特別に多いかと言えば、それも違うと感じています。

ただ宗教家として、聖職者として、清廉潔白な姿を求められるため、過剰に目についてしまう部分はあるでしょう。無意識か確信的にかは知りませんが、ゴシップ誌がお坊さんを叩く時には、こうしたマイナスギャップを活用するのが常套手段です。

そしてお坊さんがお坊さんを非難する時は、身内だから悪い部分が目につきやすかったり、単に目立っている人へのやっかみだったりすることもあります。

その結果、お坊さんは仏教を土台に生きているはずなのに、なんでこんなに欲が深いんだという刷り込みが生まれているわけです。

真っ当なビジネスをして、真っ当にお金を稼いでいるお坊さんを、「あいつが稼げるのは仏道をないがしろにしているからだ」と陰口叩いているのも、同じ仕組みですね。

なのでお坊さんはそこそこ欲深いけど、大半の方は非難されるほどじゃない。これがほーりーの見解です。

現代は欲望よりも恐怖に支配されやすい時代

ほーりーの勉強会

そしてここから、ほーりーがこの記事で伝えたいことです。まず少し遠回りな話しをしますが、ほーりーは欲望と恐怖は一続きのものと考えています。

例えば将来の見通しが(たとえ表面的にだとしても)明るく、未来への憂いが少なくなれば、人間は欲深くなります。一方で将来に悲観的で、人生を無難に生きる算段も立たなければ、恐怖に包まれます。

この両者の根源は真逆ですが、現れる行動はとても似ています。バブル時代は多額の借金をしてまで投資を重ね、大暴落して身を滅ぼした方がいました。逆に今は将来の不安を煽られて詐欺に遭い、老後の資金を失う方もいます。

欲望も恐怖も取り憑かれると、人間は正常な判断力を失います。偉そうなことを言っているほーりーだって、寺社旅研究家という不安定な根無し草なので、ダークサイドに落ちないように必死です。以前(まだ独立前ですが)ついうっかりと、ネズミ講まがいの勧誘セミナーに迷い込み、これはやばいと慌てて逃げだしたこともありますし。

経済がこれからどんどん縮小していく今の日本で大半の方が注意すべきは、欲望よりも恐怖ではないかと思います。

お坊さんは欲より恐怖によってお金に執着する

お坊さんがお金に執着している件に話を戻すと、ほーりーから見てお坊さんは、欲望よりも恐怖によってお金に執着している人が増えていると感じています。

たまに「お布施の額でもめた」とか「高額の離檀料をふっかけられた」などといったニュースが流れ、欲にまみれたお坊さん像が一人歩きすることがあります。しかし私から見れば、これはお金に執着して欲の皮を突っ張らせたためではなく、恐怖によって追い詰められた姿です。

(まあ、その前に真偽不明なものが多いので、しっかりとしたソースがなければ半信半疑以下で見てますが)

なぜ、お坊さんは恐怖で追い詰められやすいのか。それは冒頭の勉強会でも話した内容ですが、お寺社会の収入のうち約8割もが檀家さんからのお布施によって成り立つためです。これは一つの決まった形を失えば、即破滅につながるということでもあります。

お寺社会の収入構造

清廉潔白を求められ、お金に近づくことを許されなかったお坊さんは、これまでなかなか新しい稼ぎ方を作ることができませんでした。

そして唯一の柱であった檀家さんから「お付き合いやめるわ」「お墓移すわ」と次々言われたら、ついつい「離檀料100万円」と口走ってしまうのも、(擁護したいわけではないですが心情的には)理解できます。

もちろんそれでも心で泣きながら、顔だけにっこりのお坊さんの方が多いわけですが、お寺社会がこれ以上追い詰められる前に、お寺を経済&布教両面で支えるモデルを増やした方が良いというのがほーりーの考えです。

ちょうどエンディング産業展の会場ではTERA Energyのプレゼンテーションも行われていました。お坊さん達による売電事業。こちらも立ち上げられた時から、「お坊さんによる金稼ぎ」と、あちこちで口汚くののしられています。

TERA Energyのプレゼン

しかし新事業なんて、周りから応援されまくっても、上手くいかないものの方が大半です。なので私はこうした新しいチャレンジを手助けしたり、それが無理でもせめて温かく見守る姿勢を共有していかないと、お寺はどんどん恐怖によってお金に執着していくことになると予測しています。

ということで、、、

ほーりーは「お金をもっと稼ぎたい」と言うのは、別に汚いものではないと考えています。むしろお金が欲しいのにその気持ちに蓋をして、私はお金なんて欲しくありませんよという顔をする方が、よほど欲に囚われています。

お坊さん達にこんなことを言うのも恐縮ですが、仏教が戒めているのは身を滅ぼすような過剰な欲望だと思います(悟りを開くくらいのレベルにある人は、また別かもしれませんが)。なので自分を潰しかねない恐怖を緩和させるための欲は、むしろ積極的に推奨しても良いのではないでしょうか。

先日、とあるお寺の事業計画を見て、年間の収支予測をお坊さんと一緒に考える機会がありました。お坊さん達もお金について話す場をタブー化しすぎず、もっと本音で話ができる場を増やした方がいいでしょう。

そしてもしも稼ぎすぎて必要以上にお金が入るようになり、本当の意味での欲望が姿を現し始めたのなら、それこそ仏の教えに身をゆだねて慈善活動に使ったり、どこかに寄付(お布施!)などすれば、いいのではないでしょうか。

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